じぎょうじょうとについて!

かみむらです。先日、2020年9月末に事業譲渡をしました。

自分のなかでまだまだ整理できていないので、読んでくださる方に何か与えることができる気はしていません。正直、「伝えたい!」というわけでもないのです。(え。笑)


でも、書いてみたのは、わざわざ電話をくれたり、東京から福岡に来たり、ニューヨークからオンラインで呼び出したりして、話を聞いてくれる友人や先輩たちがいて。

そのなかで、なんの役にも立たないかもしれないけど、なにか得る人もいるかもだし、とりあえず、いまのそのままを、ひっそり出しておこうと思ったためです。


PRプラン二ング&PRライティングと、物を書くことも生業としてきた者らしからぬ、まとまりのない、ただの心情や現状の吐露となりますが、事業譲渡の理由・いま・これからなどについて、書きます。


【1】事業譲渡をした理由

itty selectionは東京・原宿に本社を置くPR 会社です。

事業譲渡を計画しはじめたのは1年前。
2016年9月設立なので、まる3年が経ったころでした。

とはいえ、会社設立前にも2年間、東京でフリーランスのPRプランナー&PRライター「かみむらゆい」として活動していたので、同事業はまる5年やっていたと言えます。


独立当初から大きな失敗などはなく、itty selectionは常にお客さまが絶えることなく今日まで経営してこられた、恵まれた会社です。

ニューヨークやハワイのお客さまをお手伝いしていたので、コロナウイルスの影響も受けなかったわけではありませんが、持続化給付金を受け取ることができないくらい「売上が、下がりきらなかった」状態で、譲渡まできました。


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では、なぜ譲渡をしたのかと言いますと・・

いろいろと整った理由を考えましたが、まだ明確に「これだ!」という言葉・表現にはたどりつきません


ただ、「自分の手から離すべきだ」という直観のようなものに従った。

そう言うのが、今は近い気がします。


譲渡に向けて動いてきた1年。
譲渡してからの約1か月。

「これを記しておこう」と決めるに至った、NYの経営者会(わたしはオンライン参加)から1週間。

的確な表現は見つからないまま。


けれど、これを「なんとなく譲渡しただけでした」と放置せず、「なぜだったのか」と思考を重ねることで、しばらくしたら理論・理屈が解明?されていくと思っております。

そうして見つかった理論・理屈こそが、同じ道を行こうとする人や次世代ための知恵となると考えています。


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で、ここまでの時点でもんやり見えてきた理由は以下です。


まず

ご紹介やお問い合わせから、お仕事をとめどなくいただくこと。
一緒にお仕事をすることで楽しんでいただけること。
PRの仕事で成果を出して喜んでいただけること。
PR人材の育成にも力を入れ、優秀な人が育っていくこと。
当社で、あるいは当社と、仕事がしたいという方々がたくさんいること。


これらは、どう考えても「恵まれている」「幸せな」ことです。


けれど、思考で考える「これは幸せなはずだ」というものと、実際に心がどう感じているか、というのは、また違ったことなのですよね。


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まさか、不満があったわけではないです。

もう10年もPRに携わっていますからモチベーションどうこうって話でもなく、「やってあたりまえ」なので「やりたくない・やる気がでない」とか、そういうことでもない。

でも、心があまり喜びを感じない。


頭で「喜ぼう」としても、「喜ばしいことだ」と言い聞かせても、心というのは勝手に自然に喜ぶものなので、明確な理由はわかりませんが喜びが薄れていったのです。


このように魂が完全に入りきらない状態でお仕事をしていくのは、お客さまに失礼。たとえ、ある程度の結果が出たとしても。という思いがありました。

それは、自己満足の美学かもしれません。
やめるほうが失礼だという方もいらっしゃるでしょう。


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私としては「手を抜いていてもできる状態」というのは、あまり美しくないと言うか、自分の信念に反するというか・・・だからといって手を抜いていたということではないのですが・・・


なんというか、自分がいけるところまでのレベル感に達し切ったような気がしたというか。(もっと先にいける人もいるのでしょうけれど、自分の力としては、ということです)


だからこそ、PR人材の「育成」をして自分ができることを次世代につないでいたのですが、そうなってくると、自分のなかの「こだわり」というものが強くなって「やっぱり自分でやりたい!」となったり

心がまっすぐにどこかに向かわず、左右に振れ、どちらも窮屈という状態のようでした。


もちろん、喜びを感じる努力とか、考え方を変えてみたり、取り組み方を変えてみたり。いろいろと試行錯誤を重ねたうえで、です。


そして、そういった感じで、もし「こなす」という風になったとしたら、その時点でどこかで足元すくわれるというか、頭をうつというか、そんな気もします。

(ちなみに、最後のほうに書きますが、現状いくつか引き続き手がけている企業があり、そちらは、ここから書くさまざまな理由が重なってか、自然とまっすぐに心が喜ぶお仕事なのです)



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一通り尽力してみて「違うと確信が得られたら、すぐやめる!」という気質が自分にはありますが、それでも1年かけてじっくりとタイミングを見て、時間と労力と熱意をかけて、準備をして譲渡にいたりました。


大人になったんだな。とか。
いっぱしの経営者をまっとうしたじゃん。とか。

自分の成長をうれしくも思いました。



【2】会社の譲渡ではなく事業譲渡にした理由

本当は会社まるごと譲渡する予定で1年前から動いていました。でも「事業譲渡」にしたというところ。


コロナが起こり、ストップしたお客さまも多く会社ごと譲ったところで、想定していた売上よりも低く渡すことになります。

これは、ある意味では

譲渡先(当社に関わっていた女性)として、逆に自分で会社を立ち上げて小規模の仕事から着実に積み重ねる余裕が生まれた=自分がゼロから立ち上げる会社を、ゼロから育てる余裕ができた、ということでもあります。それが1つ。


それから、かみむら側としては、会社を譲渡したあと、オファーが来ていた会社にいちおう籍を置きつつフリーランス的に動く予定だったのですが、その企業がコロナの影響を大きく受けたことで見送ることになりました。

そこで、かみむらがどこの会社にも籍を置かないとなると、かみむらの信用(社会的な意味での)がまたゼロになります。それも、「会社は残した」、大きな理由の1つです。


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itty selection立ち上げ当初は、何の信頼もなかったので、家を借りることもできなかったのです。笑 当時は、友人の会社に所属していることにしてもらって(堂々とこんなことをテキストで残すべきではないかもしれませんが!)かつ、親に保証人になってもらって借りていました。

けれど、ここ数年は、保証人なし。かみむら名義で、会社の信用で借りられるようになっています。

いくら気合いや周りの方々からの信頼があったとしても、やはり対国とか対社会としての信用が必要なこともありますので、状況に応じた変更をしました。


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ちなみに、譲渡先の会社は立ち上がったばかりですが、同社の代表取締役は、会社員としてもう1社勤めている会社があるので、この点クリアできるというのも大きいです。



【3】譲渡先について

事業を譲渡した相手は、itty selectionを立ち上げた4年前から複業メンバーとして所属してくれていた、山崎春奈さん。彼女が譲受のために会社を立ち上げました。

4年一緒にやってきて、意見が割れたり、不信感が生まれたりすることは一切なく、むしろ「そんなに的確に理解してくれるとは・・」ということが多い。「一生懸命」というより「当然、淡々と、誠実に、着実に、確実に」なにごとも丁寧にとりくめる、冷静で賢い子。信頼しきっています。

かみむら個人や友人としての共感みたいなものは、むしろ薄く、性格は真逆とも言えるし、興味関心もまったく違います。


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自分に欠けているところを補ってくれる。会社のミッション・ビジョンのところで同じ方向を見ている(すり合わせなくても!)。など、いろいろな理由で、彼女であれば、むしろ譲受してくれて、ありがたい一方です。

自分が育成した(というのはおこがましく、自分から受け取りつづけてくれたというのが適切かも)、そんな方に大事な事業を譲ることができるということ。

これは、心からうれしく思っています。



【4】譲渡に伴うお金

さすがに金額は開示しませんが、「しっかりお金を払いたい」という彼女の意向もあり、譲渡を考えはじめたころの想定よりは、多めにいただいています。

また、今後、譲渡した事業の売上からいただくものもあります。


彼女の会社の株は持っていません

少しの執着心も持ちたくないですし、切り離して別のものとして彼女に自由にやってもらいたいし、自分の意識としても残さず自由にいたいからです。


「事業を売って、一生分のお金を得てリタイアする!」ということではないので、「なるべく高く売れるところに売りたい!」ということは、はじめからなく、むしろ、信頼できる方に大切に育ててほしい気持ちから「彼女のほかに譲渡先はない」と思っていたので、ウン千万円!とかいう金額ではありません。



【5】譲渡のあと。いま・これから

今後は、学業に専念しつつ(という大義名分で)いったん、ゆっくりしたいです!とか思ってます。

ふんわり描いているのは、今後はアート関連にしぼってやっていきたい


そもそもPRの仕事をはじめたのは、アーティストやクリエイターの支援をすることが目的。そのためにPRをここまで突き詰めてきました。

22歳ごろニューヨークで出会った師匠・榮枝洋文さんにアドバイスをいただき、PRを選んだのです。

彼が「これからの時代は、広告以上にPR。あなたが成し遂げたいことが、きっとできるようになるよ」ということで、自身が広告企業にいるにも関わらず、10年も前にPRの方を薦めてくださいました。

彼は当時、大手広告企業ADKのニューヨーク支社CFOとして大活躍(今もご活躍ですが!)。タイムズスクエアで行われる、全世界が毎年注目する、年末年始のカウントダウンイベントを仕切っているような方でした。

肩書きだけじゃなく、話される内容も深みしかなく!初対面でしたがすぐに「そうします!」と決めました。


そんなはじまりなので、原点回帰的な感じ。

けれど、これからやりたいことが、具体的に「アート関連の何?」というのは、明確にはわかりません。

でも、なんとなく、「PR」というのは、結局、切っても切り離せないのかな?と感じてはいます。


「PRの人」という固定されたイメージから解放されたい気がしているのですが、「では、何?」というのが、まだわかりませんし、けっきょく「アートのPRの人」になっていくのかもしれないです。


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いまは、自分の会社にアート関連事業だけ(4社のみ)残して「学生がアルバイトしている程度の稼働で仕事する」というのでやっていますが・・・

そのつもりで譲渡したのに、譲渡した分くらい、どっさり依頼をいただいており、結局、めっちゃ仕事してます。笑


けれど、それらはアート関連事業で自分の未来につながっていくものでもあるし、コロナの影響で大変な企業や、いま改革が必要なブランドやデザイナーだったりして。

大きな局面を向かえているところですし、昔からお世話になってきた方や大好きな友人の依頼なので。

学業は後回しにできても、大切な人たちの重要な時期を支えることは、今しかできないから、ぜんぜん苦じゃないし、むしろ魂と情熱が勝手にこもっていくので、自然と尽力しております。

(学業は後回しにできても〜って書いたけど、ちゃんと勉強もがんばってます!笑


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そして、itty selectionという会社は、3月までに社名を変更予定です。


恵まれたことに「PRライターといえば、itty selection」「PR人材のプロダクションといえば、itty selection」みたいになっているので(ウェブ検索上と、業界内において)わたしがこの社名を使いつづける限り、譲渡先と競合してしまう(というかこちらの方がたぶん強くなってしまう)からです。

itty selectionがなくなることで、ようやく譲渡先の会社がそこの第一人者となる。

そこで、完了かなと思ってます。



+ + +


実は、少し前まで、わたしとしては、この話を誰かに理解してほしいわけでもなく、誰かに届けたい気持ちもなく、むしろ「そっとしておいてほしい」くらいの気持ちで(おい)自分のなかでとどめておくつもりでした。


けれど、友人たちからの働きかけや、先週参加したニューヨークに住んでいたころから(10年前から)お世話になっている先輩経営者さんたちのミーティングで、わたしよりもはるかに経験値も視座も実績も高い先輩方のあたたかさを受け、ひっそり公開しようと思うにいたりました。

もしも、誰かの何かにつながることがあるのなら、うれしいです。(えらく曖昧ですが)


譲渡前から、大好きな仕事を大好きなお客さまとしてこられて、本当に幸せでした

そして、今はさらに、大好きなジャンルで大好きなお客さまと仕事ができて、大好きな勉強や活動に思う存分興じることができて、とっても幸せです^^


そんな感じで。読んでいただいた方、ありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。


かしこ。


かみむらゆい