言葉を扱う仕事をしたいという人に、意識してほしいと伝えていることがある〜かみむらゆい Facebook log〜

言葉を扱う仕事をしたいという人に、意識してほしいと伝えていることがある。

 

それは「言葉の定義」を「疑う」こと。

 

じぶんの人生を創り続けていくうえでも、きっと重要なことなのだと思う。

 

 

「うれしい」「楽しい」「悲しい」「苦しい」って、一体なんなのか??

 

「幸せ」「豊かさ」「好き」「価値」「成功」って、一体なんなのか??

 

 

まるで当然の共通認識があるかのように多用するけれど、ほんとうは人それぞれに定義が違う。

 

 

世界は、そんな言葉で溢れている。

 

 

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インタビュアーになるなら「発言者の言うそれは、ほんとうのところ何を指すのか」を、明確にとらえるチカラが必要になるし。

 

コラムニストになるなら「じぶんが使っているあらゆる言葉の真意」を正確に伝えるチカラが必要になる。

 

記者になるなら「より多くの人たちがどういう意味でその言葉を捉えているのか」という前提を知っていなければならないはずだ。

 

 

実は曖昧で、抽象的な言葉。

 

それらを「見直す」こと。

ときに「定義しなおす」こと。

 

文脈によって「使い分ける」こと。

 

より、そのまんまに伝わるよう「工夫をする」こと。

 

 

何が「相手にとってのそれ」で、何が「じぶんにとってのそれ」なのか。

 

立ち止まって、考えること。

 

 

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それが、じぶんのためのものなら

自由に書き換えたっていいしね!

 

 

「幸せとはこういうもの」

 

ほんのついさっきまで定義していた幸せは、実は、思い込んでいただけのものかもしれない。

 

 

「うれしい」が◎で

「悲しい」は×なのか。

 

ほんとうに??

 

「悲しい」「苦しい」しか教えてくれないことは、たくさんあるのに。

 

 

誰かが使っている言葉の定義を深く掘っていくと、じぶんのものとは違った答えが返ってくる。

 

そっちのほうがステキなら

そっちを採用したって、いい!

 

 

世間には、じぶんに必要のない「A=B」が溢れているから。

 

じぶんで選べる

じぶんで創れる。

 

 

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より豊かに表現するためには

たくさんの言葉に出会うこと。

 

でも

 

むずかしい言葉やおしゃれな言葉をいっぱい持っている必要は別にないんです。

 

 

たくさんの「その言葉の定義」に

出会えばいいのだと思う。

 

シンプルないくつかの要素で構成された、その1つの言葉をカタチづくる、さまざまな定義に。

 

 

そのために

 

たくさん聞くこと。

たくさん知ること。

たくさん感じること。

たくさん考えること。など!